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​自由の哲学について

​・ 『自由の哲学』はルドルフ・シュタイナーの代表的著作の一つです(他の代表作は『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』『神智学』『神秘学概論』)。1894年に初版が出、その後、大幅に加筆訂正がなされた新版が1918年に出ました。この版では初版第1章が省略されましたが、高橋巌先生の訳では、1918年の版にこの初版第1章が加えられています。高橋先生は初版第1章に大事なメッセージが書かれていると判断されたようです。

・ 高橋先生訳の文庫本(ちくま学芸文庫)のうら表紙には「刊行後100年以上経つ現在も、まばゆい光芒を放ち続ける、シュタイナー全業績の礎をなしている認識論哲学。社会の中で否応なしに生きざるを得ない個としての人間は、個人の究極の自由をどこに見出すことができるのか。また、思考の働きは人類に何をもたらすのか。」「外なる世界と内なる世界、外なる法則性と内なる道徳性との間に横たわる深淵は、ただ自由な魂だけがこれに橋をかけることができる」と書かれています。

・ 『自由の哲学』の“付録=2”でシュタイナーは、「芸術としての哲学が人間の自由とどのような関係を持つのか、人間の自由とは何か、われわれは自由を持っているのか、あるいは自由になることができるのか、これらが本書の主要問題である。」と述べています。本書を読むことで、これらの問についての答えが得られるのかどうか、それを確かめるためにあらためて本書をじっくり読んでいこうと思います。

・ シュタイナーはさらに「すべての学問は、もしそれが人格の存在価値を高めるために努力するのでなければ、無用な好奇心の満足に役立つものでしかないであろう。学問が本当の価値を持つのは、その成果が人間存在にとって意味のあるものとなったときである。魂の個々の能力を高めることではなく、われわれの中にまどろんでいるすべての能力を発展させることが個体の究極目的なのである。

 

・ 知ることは人間本性全体のあらゆる面での発展に寄与する時にのみ、価値を持つ。それ故本書は、人間が理念に頭を下げるべきであるとか、人間の能力を理念のために奉仕させるべきであるとかと主張するつもりはなく、人間が理念界を自分のものにして、単なる学問的な目標を越えた人間的な目標のためにこれを用いることができるように、学問と人生との関係を考察するのである。われわれは体験しつつ理念に向き合うことができなければならない。そうでないと、自分を理念の奴隷としてしまうことになる。」と述べています。

・ 『自由の哲学』を学ぶことで、それが人格の存在価値を高めるために役立つものになっていくように努め「理念界を自分のものにして、単なる学問的な目標を越えた人間的な目標のためにこれを用いることができるように」していきたいと考えています。

・ 森章吾さんは彼の訳書『自由の哲学』の“訳者あとがき”の中で次のようなエピソードを書いています。森さんが書店で山口真由著『東大主席弁護士が教える超速“7回読み”勉強法』という本を見つけた時に、「今、7回読むのにふさわしい本は何か」と自問して思い浮かんだ本が、ルドルフ・シュタイナーの『自由の哲学』だったそうです。

・ 私はこれまで主に高橋巌先生訳の『自由の哲学』を恐らく5~6回は読んできました。今回、『自由の哲学』を読めば恐らく森さんと同じように7回目になるのではないかと思います。

 

・ この本は7回読んでも恐らく、「分かった!」とはならない本です。何回読んでいても、中々判然としない感じがします。もちろん内容が難しいこともあると思いますが、その内容が人間にとっての根本的な問題を深く追求している本なので、そう簡単に「分かった!」とはならないのだろうと思います。​

​​

・ このセクションでは、私なりに『自由の哲学』を読んだ感想や章ごとのまとめをパワーポイントにまとめたものを適宜、ブログとして掲載していく予定です。

・ さらに、シュタイナーのドイツ語の原文の主要部分を掲載して、ドイツ語の読解を通して、シュタイナーの意図にアクセスしていこうと考えています。長い道のりになると思いますが、​お付き合いいただければ幸いです。

シュタイナーの『自由の哲学』を原文で読む ① ​

シュタイナーの『自由の哲学』を原文で読む ①

はじめに

 

・ 私はこれまでルドルフ・シュタイナーを高橋巌先生の訳で5~6回は読み、また高橋先生のこの本についての講義にも参加しました。さらに森章吾さんの訳でも読みました。その結果、「『自由の哲学』がよくわかったか?」と自分に問うと、どうも自信を持って分かったとは言えない感じがしています。いつか、「この本がわかった!」という境地に到達したい、という願望はずっと持ってきましたが、なかなかその思いは実現できません。シュタイナーの本は読んで完全に分かった、という類の本ではないとは思いますが、少しでもそこに近づきたいという気持ちがあります。
 
・ そこで、シュタイナーの原文に当たって、自分にとって大事だと思える部分を抜粋して、その部分を自分なりに解釈してみる、ということをやっていってみようと思い立ちました。その際、自分で原文をどう解釈したかということや、語彙、文法的な事項も解説して、シュタイナーと共にドイツ語についても学んでいきたい、という人に役立ててもらおうという意図でこの文章を書き始めました。毎回少しづつ進んでいくだけなので、いつになったら全体を終えられるか見当がつきませんが、自分に残された時間を過ごしていく作業としては十分それに値するものだと判断して始めました。よかったらお付き合いください。

本の題名と副題
 

・ 本の題名は“Die Philosophie der Freiheit“「自由の哲学」となっていて、副題として“Grundzüge einer modernen Weltanschauung Seelische Beobachtungsresultate nach naturwissenschaftlicher Methode 1894“と書かれています。
 
・ Grundzügeとは「基礎的な輪郭」のことで、WeltanschauungはWeltが「世界」、Anschauungが「観る」ということなので、合わせると「世界観」ということになります。modernenは「近代的な」という形容詞なので「近代的な世界観の基礎的輪郭」ということになります。
 
・ 次の“Seelische Beobachtungsresultate nach naturwissenschaftlicher Methode”はSeelischeが「魂的な、精神的な」という形容詞、Beobachtungsが女性名詞Beobachtung「観察」の2格、Resultateが「結果」、nach naturwissenschaftlicher Methodeがnaturwissenschaftlicher「自然科学的」Methode「方法」にnach「従って」ということで合わせると「自然科学的方法に従った魂的観察の結果」ということになります。
 
・ まとめると「自由の哲学 - 近代的な世界観の基礎的輪郭 自然科学的方法に従った魂的観察の結果 1894」ということになると思います。

 

『自由の哲学』1918年版のための“まえがき”
 

・ 最初に『自由の哲学』1918年版のための“まえがき”(VORREDE ZUR NEUAUSGABE 1918)から始めたいと思います。
 

2つの根本問題
 

・ まず“Zwei Wurzelfragen des menschlichen Seelenlebens sind es, nach denen hingeordnet ist alles, was durch dieses Buch besprochen werden soll.”という文がでてきます。
 
・ この文はEs sind ~, という強調構文が倒置された形になっています。つまりEs sind zwei Wurzelfragen des menschlichen Seelenlebens=「それは人間の精神生活についての2つの根本問題です。」というのが主文です。
 
・ 次の文も倒置されていて、普通に戻すとalles ist nach denen hingeordnetとなっていて、「すべてはdenenに向けて方向づけられている」となります。これは主語がallesで述語がist hingeordnet (動詞hinordnen「方向づける」の過去分詞)となる受動文です。nachは「~に向けて」という意味の前置詞でdenenはその前のesを先行詞とする関係代名詞です。
 
・ そして次のwasは関係代名詞で先行詞はallesです。つまりalles「すべて」というのがwas以下で、was以下はdurch dieses Buch besprochen werden sollとなっていて「この本を通じて語られるべきこと」となっています。
 
・ つまり「この本を通して語られるべきことのすべてに向けて方向づけられているのは、人間の精神生活についての2つの根本問題です。」ということです。
 
・ これはドイツ語として(日本語としても)かなり込入った分かり難い文章になっていると思います。高橋巌先生は「シュタイナーの文章はわざと分かり難く書かれている。それを読むこと自体が一種の修行であり、読者は自ずと考えさせられることになる。そうした一筋縄ではいかない文章を頑張って読んで行くことが人智学の修行になる」というようなことをおっしゃっていました。
 
・ 確かにシュタイナーの文章を読むこと(さらにはそれをドイツ語で読むこと)はかなり精神の集中を要し、脳がフル回転させられるような体験です。それは人智学の修行でもある、ということのようですので、頑張って修行していきたいと思います。

 

2つの根本問題 1つ目
 

・ Die eine ist, ob es eine Möglichkeit gibt, die menschliche Wesenheit so anzuschauen, dass diese Anschauung sich als Stütze erweist für alles andere, was durch Erleben oder Wissenschaft an den Menschen herankommt, wovon er aber die Empfindung hat, es könne sich nicht selber stützen.
 
・ ではその2つの根本問題とは何でしょう?まず最初はDie eine ist, ob es eine Möglichkeit gibt 「1つ目は、ある一つの可能性があるかどうか」ということです。
 
・ 次のdie以下がMöglichkeitと同格になっていて、die menschliche Wesenheit so anzuschauen(「人間の本性をそのように見ること」=「そういう可能性があるかどうか」)ということです。
 
・ そして「そのように(so)」の内容が dass 以下でdass diese Anschauung sich als Stütze erweist … 「そういう見方が、他のすべてのものに対して支えとして働く」つまり“so”=「支えとして働くような仕方で」ということです。
 
・ ここでetwas erweist sich als X はerwiseが「証明する」ということなので「etwasが自身をXとして証明する」ということです。
 
・ 続いて“für alles andere, was durch Erleben oder Wissenschaft an den Menschen herankommt”となっていて、関係代名詞 was の先行詞は alles andereです。「経験や科学を通して人間に近づいて来る他のすべてのものに対して」ということです。
 
・ wasはalles andersを先行詞とする関係代名詞ですが、ドイツ語では不定代名詞(alles, etwas, nichts)は 関係代名詞に was をとる決まりになっています。
 
・ 続いて”wovon er aber die Empfindung hat, es könne sich nicht selber stützen.”となっています。wovonは関係副詞で「それについて」er aber die Empfindung hat「~と感じている」ということです。
 
・ wofon「それについて」というのは「経験や知識を通して人間に迫って来ること」のすべてについて
 
・ er「彼」(人間一般をさす)は、es「それ」=「経験や知識を通して人間に迫って来ること」のすべて)はkönne sich nicht selber stützen「自身では自分を支えることができない」とdie Empfindung hat「感じている」ということです。
 
・ könneは接続法I式で間接話法です。つまり「話者ではない他者の発言を引用・伝聞する際に使われる」形で「〜だそうだ」「〜と言っている」に相当します。これは話し手の意見ではなく、「第三者から聞いた伝聞」であることを示すために使われます。
 
・ 全体をまとめると「根本問題の1つ目は、経験や科学が与える諸知識は、自分自身を支えられないという感覚を人間は持っているが、それらすべての知識を支える基礎となるような仕方で人間の本質を見ることができる可能性があるか?」ということです。

 

・ つまり、シュタイナーが言いたいのは「経験や科学は多くの知識を与える。しかしそれらは「なぜそれが真なのか」を自分で支えられない。では、それらすべてを支える基礎となるような「人間本質についての見方」は可能なのか?」ということですが、シュタイナーは(後の章で)「思考がすべての認識の基礎となる唯一のものだ。」と言っています。

 

第2の根本問題
 

・ 続いてシュタイナーは“Es könne von Zweifel und kritischem Urteil in den Bereich des Ungewissen getrieben werden.“ と言っています。
 
・ この文の主語Esは前の文のesと同じで「alles andere(経験や科学が与える諸知識)」を指します。

 

・ それはvon Zweifel 「疑い」und kritischem Urteil「批判的判断」によってin den Bereich des Ungewissen(Gewissheit「確信」、un-形容詞の前に来て、否定・反対を表す → ungewissen(形)「確信の持てない」)Bereich「領域」にgetrieben werden「追いやられる」
 
・ この文もkönneとなっていて接続法I式の形で引用・伝聞を表しています。
 
・ まとめると「経験や科学が与える諸知識は疑いや批判的判断によって、確信のない領域に追いやられてしまう」と言っています。
 
・ 続いて第2の根本問題が出てきます。Die andere Frage ist die: Darf sich der Mensch als wollendes Wesen die Freiheit zuschreiben, oder ist diese Freiheit eine bloße Illusion, die in ihm entsteht, weil er die Fäden der Notwendigkeit nicht durchschaut, an denen sein Wollen ebenso hängt wie ein Naturgeschehen?
 
・ Darf sich~に続く文の主語はder Mensch als wollendes Wesen 「意志する存在としての人間」です。述語はsich etwas zuschreiben 「〜を自分のものと見なす/自分に帰属させる」、目的語はdie Freiheit「自由」です。そして、それがDarf < dürfen 許可「可能か?」という疑問文です。
 
・ つまり「意志する存在としての人間は自由を自分に帰属させることができるだろうか?」ということです。
 
・ 続くoder ist diese Freiheit・・・は「それともこの自由は」eine bloße Illusion「単なる幻想なのか?」と聞いています。
 
・ 次のdieは関係代名詞で先行詞はIllusion。つまりその幻想というのはin ihm entsteht「彼の中に発生している」という修飾語のついた「幻想なのか?」ということです。
 
・ 次のweil er die Fäden der Notwendigkeit nicht durchschautは「なぜならば彼はdie Fäden der Notwendigkeit「必然性の糸」をnicht durchschaut「見抜いていない」(durchschauen「見通す」、「見抜く」)からだ、ということです。
 
・ 次のan denenのdenenは関係代名詞で先行詞はdie Fäden der Notwendigkeitです。sein Wollen「彼の意志」がこの関係節の主語 。ebenso wie 「〜と同じように」ということです。 Naturgeschehenは「自然現象」。

 

・ つまりsein Wollen ebenso hängt wie ein Naturgeschehen「彼の意志は自然現象と同じようにその必然の糸にぶら下っている=依存している」ということになります。
 
・ そして「彼の意志が自然現象と同じようにぶら下っている=依存している→ その必然の糸を見通していないから」ということです。「私たちの意志が必然性の糸に結びついているのであれば、私たちは自由ではない。」私たちは単にその必然性の糸が見えていないだけなのだ」ということになります。
 
・ まとめると「意志する存在としての人間は、自由を自らに帰属させてよいのか?それともこの自由は単なる幻想なのか?」という問いに対して、人間は「彼の意志が自然現象と同じようにぶら下っている=依存しているその必然の糸を見通していない」のであれば「私たちは自由ではない。私たちは単にその必然性の糸が見えていないだけなのだ。」ということになります。
 
・ 第2の根本問題としてシュタイナーが挙げているのはDarf sich der Mensch als wollendes Wesen die Freiheit zuschreiben「人間の意志は自由か?それとも必然性の糸に操られているだけか?」ということですが、これと第1の問は実はつながっていて、第一の問題(認識論)をどう解決するかによって、第二の問題(自由論)の答えが決まる、つまり「正しい認識論を持たない限り、自由の問題は解けない。」ということのようです。

自由の哲学 2

​シュタイナー『自由の哲学』を原文で読む ②

・ 続いて In dieser Schrift soll gezeigt werden, dass die Seelenerlebnisse, welche der Mensch durch die zweite Frage erfahren muss, davon abhängen, welchen Gesichtspunkt er gegenüber der ersten einzunehmen vermag.となっています。

・ In dieser Schrift 「この著作において」soll gezeigt werden:sollen 意志・予定「〜しようとしている/〜することになっている」→「この書物では、〜が示されようとしている/示されることになっている」

・ die Seelenerlebnisse「魂の体験」welche 関係代名詞、先行詞はdie Seelenerlebnisse、der Mensch durch die zweite Frage erfahren muss「人間が第二の問いを通して経験しなければならない魂の体験」

・ davon は前置詞 von の目的語を前取りする「前置詞代副詞(Pronominaladverb)」vonがかかる内容が後のwelchen Gesichtspunkt「観点」 er gegenüber der ersten einzunehmen vermag、vermögen + zu 不定詞:「〜する能力がある/〜しうる」→「彼が第一の問に対してどのような観点を取ることができるか、にかかっている」

・ まとめると In dieser Schrift soll gezeigt werden, dass die Seelenerlebnisse, welche der Mensch durch die zweite Frage erfahren muss, davon abhängen, welchen Gesichtspunkt er gegenüber der ersten einzunehmen vermag. は「この書物では、人間が第二の問いを通して経験しなければならない魂の体験が示されようとしているが、そのことは彼が第一の問に対してどのような観点を取ることができるか、にかかっている」
ということになります。

・ 続いて Der Versuch wird gemacht, nachzuweisen, dass es eine Anschauung über die menschliche Wesenheit gibt, welche die übrige Erkenntnis stützen kann; und der weitere, darauf hinzudeuten, dass mit dieser Anschauung für die Idee der Freiheit des Willens eine volle Berechtigung gewonnen wird, wenn nur erst das Seelengebiet gefunden ist, auf dem das freie Wollen sich entfalten kann. となっています。

・ Der Versuch wird gemacht「試みがなされるだろう」、nachzuweisen「証明する/立証する」, dass …「〜であることを証明しようとする」、eine Anschauung über die menschliche Wesenheit gibt「人間の本質についてのある見方が存在することを」

・ welche die übrige Erkenntnis stützen kann: welche (関係代名詞)先行詞はeine Anschauung、die übrige Erkenntnis 「それ以外の認識」、stützen kann「支えることができる」

・ まとめると「それ以外のすべての認識を支えることができるような人間の本質についてのある見方が存在することを証明しようとする試みがなされるだろう。」


 
・ 続いてund der weitere, darauf hinzudeuten, dass mit dieser Anschauung für die Idee der Freiheit des Willens eine volle Berechtigung gewonnen wird, wenn nur erst das Seelengebiet gefunden ist, auf dem das freie Wollen sich entfalten kann.の部分は und der weitere → Versuchが省略されているので「そしてもう一つの試みは〜」となります。

・ darauf hinzudeuten, dass … hin/deuten auf + Aで「Aを指し示す/ほのめかす」ということです。不定詞句hinzudeutenの意味上の主語がder weitere (Versuch)なので「さらなる試みが次のことを指し示している」となります。

・ darauf の内容がdass以下です。dass mit dieser Anschauung「こうしたものの見方で」 für die Idee der Freiheit des Willens 「意志の自由という理念に対して」eine volle Berechtigung 「完全な正当性が」gewonnen wird「獲得される」ということです

・ つまり「そしてさらなる試みは、こうしたものの見方で、意志の自由という理念に対してある一つの完全な正当性が獲得されるということを指し示している。」となります。

・ 続くwenn nur erst das Seelengebiet gefunden ist, auf dem das freie Wollen sich entfalten kann. はwenn節が条件を示します。wenn nur erst …gefunden ist「ただまず〜さえ見出されれば」ということです。

・ auf dem: dem は関係代名詞で先行詞 = Seelengebiet(=精神の領域)です。従ってwenn以下は「ただ、もしその自由意志がそこで自身を展開させることができるような精神の領域がまず発見されさえすれば」という条件を示しています。

・まとめると und der weitere, darauf hinzudeuten, dass mit dieser Anschauung für die Idee der Freiheit des Willens eine volle Berechtigung gewonnen wird, wenn nur erst das Seelengebiet gefunden ist, auf dem das freie Wollen sich entfalten kann. の部分は「ただ、もしその自由意志がそこ(=精神の領域)で自身を展開させることができるような精神の領域がまず発見されさえすれば、さらなる試みが、こうしたものの見方で、意志の自由という理念に対してある一つの完全な正当性が獲得されるということを指し示している。」となります。
 
・ 次の文はDie Anschauung, von der hier mit Bezug auf diese beiden Fragen die Rede ist, stellt sich als eine solche dar, welche, einmal gewonnen, ein Glied lebendigen Seelenlebens selbst werden kann. となっています。

・ Die Anschauung, von der hier の中の der は先行詞 die Anschauungを受ける関係代名詞(与格)です。von der ~ die Rede ist =「…について語られている/問題となっている」、mit Bezug auf …「〜に関して、〜を参照して」、auf diese beiden Fragen →「この二つの問いに関して」

・ Die Anschauung, von der hier mit Bezug auf diese beiden Fragen die Rede ist 「この二つの問に関してここで語られているものの見方は」、stellt sich … dar「〜として姿を現す」、sich darstellen als「〜として現れる」「〜のように見える)」

・ eine solche dar, welche … → solche(そのような)+関係文 →「〜のようなものの見方」 welcheは関係代名詞、先行詞はsolche(Anschauungが省略されている)、einmal gewonnen(分詞構文)「ひとたび獲得されれば」、ein Glied lebendigen Seelenlebens: Glied「構成要素」、lebendigen Seelenlebens「生きた魂の生活」→「魂の生命活動の一部」

・ したがってDie Anschauung, von der hier mit Bezug auf diese beiden Fragen die Rede ist, stellt sich als eine solche dar, welche, einmal gewonnen, ein Glied lebendigen Seelenlebens selbst werden kann. の部分をまとめると「ここでこの2つの問に関して問題となっているものの見方は、いったん獲得されれば、生きた魂生活の一部となりうるものとして現れる。」ということです。

・ シュタイナーは科学や経験は自分の中に揺るぎない支点をもたらしてくれるものではない、と言っています。そして、思考こそが私たちにそうした支点を与えてくれるものだ、ということを言おうとしているようです。

・ そして思考の本性がそういうものだということが分かると、その結果として人間が自由だということが自ずと導かれてくるのだと思います。これから先、シュタイナーがどういう論述でそうした思考の本性、本質を導きだして来るのか、さらには自由な人間が思考を使用することでその先にどういう考え方、生き方をしていく可能性が開けて来るのか、それをこれから『自由の哲学』の論述に沿ってじっくり見ていきたいと思います。

シュタイナー『自由の哲学』を原文で読む 3

(1894年初版・序文の最期の部分)
[独文]  Es wird nicht eine theoretische Antwort gegeben, die man, einmal erworben, bloß als vom Gedächtnis bewahrte Überzeugung mit sich trägt.
 
[注釈] Es wird nicht eine theoretische Antwort gegeben, die{直前のAntwort を先行詞とする関係代名詞}man, einmal erworben{<erwerben = er-(接頭辞)「努力の結果、最終的にその状態を手に入れる(成し遂げる)」+ werben:(他動詞)(もとの意味)「(何かを得ようとして)動き回る、努力する」→(現代ドイツ語)「広告する」「勧誘する」に変化 ⇒ einmal erworben(= 過去分詞の副詞的用法)= once acquired「ひとたび獲得されると」という前提を表わす}, bloß als vom Gedächtnis {(中性名詞)「記憶」}bewahrte{<wahren(他動詞)「注意する、見守る」= (英)guard、be-(接頭辞)→「完全に包み込む、外側から働きかける」というニュアンスを付与 → bewahren「ある状態のまま、変わらないように保持する、守る」→ bewahrte(過去分詞)「保持された」} Überzeugung {(女性名詞)「確信」}mit sich trägt{<tragen(他動詞)「持ち運ぶ」→ mit sich tragen「自分(sich)と一緒に(mit)持ち運ぶ」=(英)carry around with oneself}、bloß als vom Gedächtnis bewahrte Überzeugung mit sich trägt→「単に記憶によって保持された確信として自分の中に携えていくだけ」).
 
[和訳] それは一度獲得されれば、単に記憶によって保持された確信として自分の中に携えているだけの理論的な答えとしては与えられない。
 
[コメント]
ここでシュタイナーが言いたかったことは、私たちが努力して知識を獲得したとしても、それが記憶(Gedächtnis)の引き出しにしまっておかれる死んだ知識では意味がなく、それを「生き生きとした魂の生活(lebendigen Seelenlebens selbst)」に生かしていかなければならない、ということだと思います。
 
die Seele「魂」という女性名詞はシュタイナーにとって極めて重要な言葉です。Seeleという言葉の語源は古高ドイツ語の sēla に由来するそうで、もともとは「海(Sae)から来たもの(魂の故郷)」というニュアンスを含んでいるそうです。魂という言葉が言語学的に「海に属するもの」「海から来たもの」という意味が転じてできた言葉だというのは大変興味深いです。バイキングが死者を船に乗せて海へ流したのは「死後の魂をその故郷に帰す」という信仰があったからだそうです。つまり、バイキングにとって海(See)は生命がそこからやって来て、死後そこに還っていく場所だと考えられていたのだと思います。そこは霊的な場所で、人間の魂(Seele)には霊性が備わっており、そことつながっていることが示唆されています。

[独文] Für die Vorstellungsart, die diesem Buche zugrunde liegt, wäre eine solche Antwort nur eine scheinbare.
 
[注釈] Für die Vorstellungsart{Vorstellung(女性名詞)「表象、概念」+ Art(女性名詞)「種類、方法」→ die Vorstellungsarten「表象の仕方、思考形式、考え方」}, die{=Vorstellungsart を先行詞とする関係代名詞}diesem Buche {zugrunde liegenの三格支配→ diesem Buche}zugrunde liegt{< zugrunde liegen→「基礎をなす」「根底にある」}, wäre {接続法II式仮定(非現実話法)を表す}eine solche Antwort nur eine scheinbare{<scheinbar(形)「見かけだけの」< Schein(男性名詞)「輝き」「外観」}.
 
[和訳] この本の根底にある思考の表現の仕方として、そのような答えは(もしそうした答えをしたとしたらそれは)単なる見せかけだけのものになるでしょう。
 
[コメント] この文では動詞がwäreとなっていて接続法II式が使われています。この接続法第2式は(非現実の)仮定を表しており、仮にそういう答え(前の文に出て来る「単に記憶によって保持された確信として自分の中に携えているだけの理論的な答え」)が与えられたとしたら、そんな答えは単なる見かけ上のもの(nur eine scheinbare)にすぎない(だからそんな答えは無意味)でしょうと言っています。
 
シュタイナーがこの本で提示しようとしている「思考」は「生きた思考」です。それは読者がその時、その場の状況によって自らの中に真剣に求めることによって生み出される答えでなくてはならず、著書から簡単に「ハイ!これが答えです。」と言って与えられるものではないのだと思います。

 

[独文] Nicht eine solch fertige, abgeschlossene Antwort wird gegeben, sondern auf ein Erlebnisgebiet der Seele wird verwiesen, auf dem sich durch die innere Seelentätigkeit selbst in jedem Augenblicke, in dem der Mensch dessen bedarf, die Frage erneut lebendig beantwortet.
 
[注釈] Nicht eine solch fertige{<fertig(形)の(女性、単数、主格)混合変化語尾 → -e「準備ができた」「完成した」} abgeschlossene {< abschließen (他動詞)=ab-(接頭辞)「完全に」「切り離して」+ schließen(他動詞)「閉める」「鍵をかける」→ abgeschlossene過去分詞の形容詞用法「締めくくられた」「完結した」}Antwort wird gegeben, sondern {Nicht ... , sondern: 「~ではなく、むしろ…である」}auf ein Erlebnisgebiet{Erlebnis(中性名詞)「体験」< erleben= er-(接頭辞)「達成・獲得」+ leben(動)「生きる」⇒「身をもって生きる、経験する」+Gebiet (中性名詞)「領域」→「体験領域」}der Seele wird verwiesen{< verweisen(動)= ver- (接頭辞)「方向をそらす、別の場所へ導く」+ weisen(他動詞)「示す」「指し示す」→ verweisen auf + 4格 で「(視線や意識を)〜へと差し向ける」「参照させる」⇒ verwiesen < verweisen「指示する」「言及する」「参照させる」の過去分詞 ⇒ 受動態}, auf dem{Erlebnisgebietを先行詞とする関係代名詞}sich durch die innere Seelentätigkeit selbst in jedem{jeder(代名詞・形容詞)「それぞれの」「あらゆる」の(男性・単数・与格)語尾→ -em} Augenblicke{(男性名詞)Augenblick「瞬間」の与格、古い文体なので与格語尾に-eがついている ← inが3格(与格)支配}, in dem {Augenblicke を先行詞とする関係代名詞}der Mensch {(男性名詞)「人間」}dessen{(指示代名詞)の属格「それ」=Erlebnisgebiet「体験領域」}bedarf{< bedürfen(動)「~を必要とする」→ 属格を伴う→ dessenが属格になっている}, die Frage erneut lebendig beantwortet{sich ... beantwortet→ 主語をdie Frageとする再帰表現「問いが自ら答えを出す」→「答えが見出される」}.
 
この文章は関係代名詞の構造が複雑で意味が分かり難くなっています。Nicht eine solch fertige, abgeschlossene Antwort wird gegeben, sondern auf ein Erlebnisgebiet der Seele wird verwiesen, auf dem sich durch die innere Seelentätigkeit selbst in jedem Augenblicke, in dem der Mensch dessen bedarf, die Frage erneut lebendig beantwortet. という長い文ですが、最初のNicht eine solch fertige, abgeschlossene Antwort wird gegeben, sondernとなっているところのsondern以下の文章を通常の主語+動詞の順で並べ変えると次のようになります。Die Frage beantwortet sich erneut lebendig durch die innere Seelentätigkeit selbst in jedem Augenblicke, in dem der Menach dessen bedarf, auf einem Erlebnisgebiet der Seele.
 
[和訳] そのような出来合いの、完結した答えが与えられるのではなくて、魂のある体験領域が指示されるが、その体験領域においては、人間がそれ(=魂の体験領域)を必要とするあらゆる瞬間に、内的な魂の活動自身を通じて、その問いがあらためて生き生きと自ら答えを出すのである。
 
(コメント)eine solch fertige, abgeschlossene Antwortというのは「すでに完成していて、それ以上変化しない硬直した答え」であり、すなわち生命力のない「死んだ答え」ということです。そういう答えではなく「内的な魂の活動を通じて、生き生きとした答えを魂が自ら打ち出す」ということです。
 
本を読んで「分かった、これが答だ」となるようなものは死んだ知識です。本当の答は、その人が心の底から「知りたい、必要だ(dessen bedarf)」と思ったその瞬間ごとに(in jedem Augenblicke)、自分自身の内なる魂の活動(innere Seelentätigkeit)によって、その都度新しく生み出される(erneut lebendig beantwortet sich)ものだ、ということをシュタイナーは言いたかったと思います。

 

[独文] Wer das Seelengebiet einmal gefunden hat, auf dem sich diese Fragen entwickeln, dem gibt eben die wirkliche Anschauung dieses Gebietes dasjenige, was er für diese beiden Lebensrätsel braucht, um mit dem Errungenen das rätselvolle Leben weiter in die Breiten und in die Tiefen zu wandeln, in die ihn zu wandeln Bedürfnis und Schicksal veranlassen.
 
[注釈] Wer{先行詞を含む関係代名詞「~する人(=その人)}das Seelengebiet einmal gefunden hat, auf dem {関係代名詞、先行詞はdas Seelengebiet} sich diese Fragen entwickeln{sich4 entwickeln(再帰)「育つ」「成長する」}, dem{関係代名詞、先行詞は文の先頭のwer「その人に対して」}gibt eben die wirkliche Anschauung{(女性名詞)「ものの見方」} dieses Gebietes dasjenige{=この文の目的語、derjenige(指示代名詞)「それ」 の(単数、中性、4格)、次のwas以下の「~するようなもの(こと)」}, was {関係代名詞dasjenige を修飾する}er für diese beiden Lebensrätsel braucht, um {um + zu)不定詞→「~するために」}mit dem Errungenen {(中性名詞)< erringen(他動詞)「(困難の末に)勝ち取る」「苦心の末に獲得する」の過去分詞が名詞化されたもの⇒「獲得されたもの」「苦労して勝ち取った成果」「到達した認識や真理」}das rätselvolle {=Rätsel (中性名詞)「謎」+voll(形)「満ちた」⇒「謎に満ちた」}Leben weiter in die Breiten und in die Tiefen {「広がりと深み」}zu wandeln{(自動詞)「歩む、展開していく」}, in die {=Breiten und Tiefenを先行詞とする関係代名詞→「その『広がり』と『深み』の中へ}ihn {彼=「人生を歩む個々の人間」}zu wandeln {(他動詞)「変える」「変化させる」「転換する」目的語がdas rätselvolle Leben 「謎に満ちた人生」} Bedürfnis {= 主語の一部(中性名詞 )「必要性」「欲求」「内的な必要」「どうしても必要なこと」< bedürfen(自動詞)「(~を)必要とする」の派生形、一時的な欲求(Wunsch)ではなく、人間が本質的に抱く「内的な必要性」や「魂の渇望」を指す}und Schicksal {= もう一つの主語(中性名詞)「運命」「宿命」「カルマ」}veranlassen{(他動詞)「引き起こす」「~させる」「~するように仕向ける」「動機づける」→ ihn(彼を=人間を)を zu wandeln「(変化させることへと)向かわせる、動機づける」、ver- (接頭辞)「行為の開始や完遂を表す」+ Anlass(男性名詞)「誘因」「動機」「きっかけ」⇒ veranlassen「引き起こす」「~させる」「~するように仕向ける」→ <人4格> を <~すること:zu + 不定詞> へと仕向ける」→ ihn(彼を=人間を)を zu wandeln(変化させることへと)「向かわせる」⇒「ある明確な動機や原因を与えて、人を特定の行動へと駆り立てる」}.
 
(和訳)これらの問いが展開する魂の領域をひとたび見出した人には、まさにこの領域の真の認識(直観)が、彼にこれら2つの人生の謎のために彼が必要とするものを与えてくれるのである。それは、「苦労して勝ち取った成果」と共に「謎に満ちた人生をさらに広がりと深みへと歩んでいく」ために、そして彼をその広がりと深みへと歩ませる必要性(要求)と運命に導かれて歩んでいくためである。
 
(コメント)ここでもシュタイナーは単なる暗記された知識や、棚からぼた餅のように与えられた答えではなく、Errungenen「苦労して勝ち取った成果」と共に「謎に満ちた人生をさらに広がりと深みへと歩んでいく」と述べています。なお、Schicksalという言葉ですが、シュタイナーにおいて「運命(Schicksal)」は、単なる偶然の運や決定論的な諦めではなく、「人間が自らの霊的成長のために、あらかじめ選んで生まれてきた課題や環境」(カルマ)を意味します。運命は人が自分で選んで来たものなのです。
 
この文の最期の部分の関係代名詞(in dieのdie)以下の部分を主語+動詞の形で書き換えると、Bedürfnis und Schicksal(主語) veranlassen(動詞) ihn(4格・彼を) zu wandeln(zu不定詞) in die( = in die Breiten und Tiefen).となります。
 
これは「内的な必要性と運命」が、彼に対し「広がりと深みの中へ」人生を展開させるように駆り立てる。」ということです。つまり、シュタイナーはここで「人間の外側にある環境(運命)と内側にある欲求(必要性)が、人間をどこへ運んでいくのか」 というロードマップを示しているのです。
 
文の前半で「謎に満ちた人生を、広がり(Breiten)と深み(Tiefen) へと展開させていく」と述べた後に後半において「なぜなら、その広がりと深みの中へ(in die)と人生を展開させていくことこそが、必要性と運命(Bedürfnis und Schicksal) が彼(人間)に要請していることだから」と言っているのです。つまり「運命と必要性というものが原動力となって人間を『人生の広がりと深み』という壮大な新天地へ彼を押し出していく」 という「人生という巡礼の旅」の構図を浮かび上がらせています。

 

(1894年初版・序文の結び)
[独文] Eine Erkenntnis, die durch ihr Eigenleben und durch die Verwandtschaft dieses Eigenlebens mit dem ganzen menschlichen Seelenleben ihre Berechtigung und Geltung erweist, scheint damit aufgezeigt zu sein.
 
[注釈] Eine Erkenntnis{<erkennen(他動詞)「認識する」「識別する」の名詞形。er-(接頭辞)→「到達・獲得」を意味する⇒(女性名詞)単なる知識(Wissen)ではなく、内的な努力によって「つかみ取った生きた認識」を指す}, die {関係代名詞、先行詞はErkenntnis}durch ihr Eigenleben{eigen(形容詞)「独自の」+ Leben(中性名詞)「生命」⇒「他から与えられたものではなく、それ自体が自律的に生きている生命力」→ シュタイナーは「思考」を独自の生命を持つ霊的な力(Eigenleben)であると考えた}und durch die Verwandtschaft {verwandt(形容詞)「親戚の」「関連のある」←(古高ドイツ語)「(ある方向へ)向けられた」「転じられた」⇒ die Verwandtschaft(女性名詞)「親和性」「親族関係」「結びつき」→ 思考の持つ生命力が、人間の「魂の生活全体」と本質的な血縁関係(親和性)にあることを意味している}dieses Eigenlebens mit dem ganzen menschlichen Seelenleben ihre Berechtigung {Recht(中性名詞)「権利」「正義」→ berechtigen(他動詞)「権限を与える」→ die Berechtigung(女性名詞)「正当性」「資格」}und Geltung {<gelten(自動詞)「価値がある」「有効である」「通用する」→ die Geltung(女性名詞)「妥当性」「価値」「有効性」}erweist{< erweisen「証明する」「示す」→ sich erweisen als...「~であることが判明する」、etwas(4) erweisen「~を自ら証明してみせる」}, scheint {scheint…zu sein「~のようである」=(英)seem to be→ 話者の確信を伴う推量や、論理的帰結を示す}damit aufgezeigt{< aufzeigen(他動詞)「明示する」=auf-「上へ」+ zeigen「示す」⇒ 隠されていたものを白日の下に指し示す}zu sein.
 
(和訳)独自の人生とその独自の人生との親和性を通して、その人間のすべての魂生活はその正当性と有効性を証明しているという認識が、指し示されているように思われる。
 
(コメント) シュタイナーは『自由の哲学』全体を通じて、思考というものが独自の生命力を持つ霊的な力だと主張し、それが人間の魂生活全体と本質的な親和性を持っており、それによって彼の主張の正当性と有効性を証明しようとしたのだと思います。
 
私たちは自身の内面で、生き生きとした思考の活動を体験すれば、その体験そのものが、思考の持つ正当性と有効性を私たちに証明(erweist)してくれるはずです。

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