マグダラのマリア
- 水野 辰哉
- 6 日前
- 読了時間: 5分
・ XVII.「星」のカードに出て来る女性についてはエジプトのイシス神だという説の外に「マグダラのマリア」だという説もあります。 聖書に登場するマグダラのマリアについては様々な伝承があります。彼女はガリラヤ湖沿いのマグダラの出身であることから「マグダラのマリア」と呼ばれたそうです。 彼女は長い髪が特徴です。聖書によれば彼女はイエスが彼女の家に立ち寄った際、旅で疲れたイエスの足を洗った後、自らの長い髪でイエスの足を拭い、香油を塗ったとされています。なので、彼女は手に香油の入った壺を抱えています。 次の写真は以前、南仏のサント・ボームという場所の山の上にあるマグダラのマリアが瞑想したとされる洞窟に行った時、そこのお土産店で買ったマグダラのマリアの像です。

・ その山のふもとの町、サン・マキシマムに修道院があり、宿泊施設も併設されていました。そこに大聖堂があり地下室にマグダラのマリアの遺物(頭蓋骨)が収められていました。 彼女は山の上の洞窟で33年間瞑想を続け、その際、衣服はつけず長い髪で身体を覆っていたそうです。
・ XVII.「星」に出て来る女性は、裸体で長い髪をもち、手に壺を持っています。ということで、マグダラのマリアの特徴を備えており、マグダラのマリアではないかと言われています。 聖書によればイエスは磔刑にかけられて絶命したのち埋葬されましたが、3日後に復活したとされています。マグダラのマリアはこのイエスの復活に立ち会ったとされています。

・ マグダラの・マリアについて英国BBCが刊行した『レンヌ=ル=シャトーの謎』(日本語版は1997年に柏書房から出版)という本を読みました。この本によればイエスとマグダラのマリアは結婚し、子供をもうけたという説が示されています。 また、マーガレット・スターバードという人の『マグダラのマリアと聖杯』(英知出版)という本も読みましたが、この中でもイエスとマリアとの間に娘サラが生まれた、とされています。
・ それらを種本として、2003年にダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』が出版されベストセラーになりました。その後、その小説はトム・ハンクス主演で映画化もされました。映画の方はわりとつまらなかったですが、ダン・ブラウンの小説は娯楽性たっぷりで一気に読んでしまいました。 この小説ではレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でキリストの右隣に座っている女性らしき人物がマグダラのマリアではないかとする説が紹介されています。下の絵がレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』ですが、中央のキリストとその右側にいる女性(らしき人物)を結ぶ線の輪郭がMという字になっており、マグダラのマリアを示す暗号だ、といったことも書かれていました。

・ 『ダ・ヴィンチ・コード』では、レオナルド・ダ・ヴィンチが実はシオン修道会の総長だった話とか、中世ヨーロッパの宗教騎士団であるテンプル騎士団やフランス国王やローマ教皇に弾圧された異端のカタリ派との関連など、豊富な話題が出てきます。 マグダラのマリアがイエスの妻で二人の間に子供がいたとしたら、その子孫は一体どうなったか、ということも興味津々です。
・ 『ダ・ヴィンチ・コード』や『レンヌ=ル=シャトーの謎』でそのあたりのことがどうなっているかですが、結論としては、テンプル騎士団の母体となったシオン修道会は、フランク王朝メロヴィング家こそがイエスとマグダラのマリアの子孫であると主張し、その復権をもくろんだこともある、とされています。
・ このあたりのテーマに一時興味持ち、上記2冊以外にも書店で関連のありそうな本を見つけては買っていました。『マグダラとヨハネのミステリー』(三交社)『テンプル騎士団とフリーメーソン』(三交社)『キリストと黒いマリアの謎』(彩流社)などです。 これらの本について、一部の方々は“トンデモ本”として眉をひそめるでしょうが、私としてはなかなかおもしろく読みました(実際には半分も読んでいませんが)。
・ これらの本には、一言で言えば、世の中の正統的な考え方(キリスト教)に対する異端的な考え方が示されています。あるいは科学的な歴史からは外れた突飛な思想が語られています。 しかしながら、私としては頭からこれらをいかがわしい書物として排除することには賛成できません。科学の歴史をみれば、ある時期に正当とされた考え方が時間の経過とともに180度修正されるようなことはしばしば起こっているからです。現在は正当とされても永遠にそうとは限らないというのが歴史の真実だと思います。
・ そうした中にあって、それでは私たちは一体、何を信じればいいのでしょうか?私としては自分の直感を信じていくしかないと考えています。自分がそれを聞いて、そこに真実の物語が含まれていると感じれば信じていいし、そうでなければ信じない、というのが私の基準です。それを語る人が権威ある人だから信じる、という態度はやめようと思っています。
・ 私たちはコロナ禍によっていろいろなことを経験しました。その中で、当時最高に権威のあると考えられ、科学的な知見をバックにして意見を述べていたはずの方たちが、現在、コロナの最盛期に語っていたのとは異なる言説を行っていることがニュース等で報じられていました。コロナ禍の最中に彼らの言うことを真に受け信じていた人々は今更そんなことを言われても、という気持ちでしょう。 だからと言って彼らを責めても仕方がない気がします。権威だというだけで彼らを信じてしまう自分たちの方に問題があると思います。自分の中にしっかりした基準があれば、それを信じて生きていけばいいのだと感じています。




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